【長万部町出身者インタビュー】介護士 前川大樹「分からないことから逃げないでほしい」

投稿者: remanbe

remanbe(リマンベ)は、デジタル時代の地方創生のモデルをつくりあげる、北海道長万部(おしゃまんべ)町のローカルメディアです。


この記事は、はてなブログにて2014年5月より掲載していた「リマンベのシゴト論」を加筆修正したものです。

もうすぐ卒業シーズンということで、リマンベ編集部から地元の田舎に住む中高生のみなさんに贈ります。中高生のお子さんをもつ保護者の方、長万部の学校の先生方にも、ぜひ読んでいただきたい内容となっています。

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【プロフィール】
前川大樹(TaikiMaekawa)
1989年3月生まれ。マリア幼稚園、長万部小学校、長万部中学校、長万部高校を経て、函館臨床福祉専門学校卒業。現在は介護職として八雲町の老人保健施設に勤める。

この仕事(介護)を選んだきっかけ

高校2年のときのインターンがきっかけになりました。インターン先は特別養護老人ホームの「慈恵園」だったんですが、「こういう仕事もあるんだなー」と当時は思ったくらいでしたね。それと兄も介護職で、さらに兄と同じ専門学校に行っていたということもあ。就職率が100%だったということもありまして。

あとは…成績があまり芳しくなかったというのもあるかもしれませんね。自分はワンパクだったので、部活や友達の家でゲームして遊ぶといったことをよくしていていて。勉強はキライでしたので、カラダを動かしたいという感じでした。遊びは外で遊んだりゲームしたり、勉強は苦手な体育大好き人間だったんですよ笑

といったこともあり、当時から「少子高齢化」が叫ばれる時代だったので、介護をやっていれば生活には困らないかなという思いもあり、この道を考えました。

はじめの一歩を踏めた

過去にこんな出来事がありました。函館での専門学校時代、座学とは違う「実習」という現場を体験する授業があります。その実習のなかから、いかにして自分に学びを取り入れるか、実践からの学びですね。

実は、自分が専門学校時代のときって、あまり周りの人とは話さなかったんです。自分は自分の好きなようにやっていくというか。でもそんな萎縮した状態で実習に行ったらその姿を見る施設の利用者の方も萎縮してしまうのではと思い、どうしようか考えて「素」の自分を出してみることにしました。すると、利用者の方が自分に興味をもっていただけ、話かけてくれたりして「なんだ!イケんじゃん!」って思いました。「こういう感じでやっていけばいいんだなーという感じですね」。萎縮していた自分が変われた瞬間でした。嬉しかったです。一歩踏めたので。

…と、このような成功体験を積んだ一方で、他の学校のヤツらは実習で「利用者にこういうサービスができたら、もっとよかったんじゃないか」とか話をしていて。その実習先から「うちで働かないか?」とスカウトがきていたり。上には上がいるんだなと思いました。

自分は部活で「陸上」をやっていて、周りに「全道大会で何位」というような成績をおさめるような人がいたりしていたので、対抗心は備えもっていましてね。それでヤツらに闘争心を燃やしました。「このままじゃダメだ、なあなあじゃダメだ」と。昔から「やるからには行けるところまで行きたい性分」でしたので。

子供ができてから変わったこと

働きだした当初はひねくれていまして。入社2~3年くらいの頃ですかね。先輩や上司からアドバイスは受けていたのですが、自分のやり方が自分の中にあって、固執してしました。アドバイスを聞かずに淡々と。でも子供が生まれてから、大きく変わったんです。まず、施設の利用者の方の話をよく聞けるようになりました。施設のなかには認知症の方がおりまして、つじつまの合わない話をされることがよくあります。子供が生まれる前はよく分からなかったんですけど、それって「赤ちゃんが泣く」のと同じなんです。

赤ちゃんは泣くことしかできない。赤ちゃんは泣くことでしか「してほしいこと」を意志表示できないんです。それを親がくみとってあげないといけない。つじつまの合わない話のなかから何をくみとるか。利用者の方の話をよく聞くようになってから、利用者の方が私との接し方が変わりました。利用者の方のしてほしいことに、自分が応えてあげられたんですね。子供を育てつつ、自分も育てられました。

子供が生まれてから広がった視野

そんな経験も積み重ねていき仕事にも馴れてきたとき、ものごとを俯瞰して見れるようになったんですね。それで、いざ周りを見てみると「苛立ちながら仕事をしていること」に気づきました。職員同士の不満はどこにでもあると思いますが、介護職で離職率が一番高いのは「同じ職場同士の不満」。30%で1位です。2位が「職自体への不満」「給与が低い」などでしたかね。

いまはその「介護職に存在する不満」を解消したいんです。まだ解決策は見いだせていないんですけど、個人のメンタルケアなど、自分のストレスの度合いをはかれるようになったり、ストレスの逃がし方を分かるようになったり。いろいろと方法はあります。介護職って女の職場であり、表面上は笑っているけど、いざ飲み会になると…ということもありまして、ストレス耐性が大切なんです。

子供が生まれてから、利用者の声が聞けるようになって、自分に余裕ができました。それでいざ周りを見てみると、苛立ちながら仕事をしていることに気づきました。声を荒げていたり、イライラしていたり。いままでは自分勝手な人間でしたけど、子供ができてからうんと変わりました。先輩に子供ができたときも「けっこう先輩変わったなー」って思うこともあったのですが、いざ自分に子供ができると「こんなに変わるんだなー」としみじみ実感しています。

長万部の10代へメッセージ

「分からないことから逃げないで」。これも子供が生まれてからの変化でして。今までの自分は、「分からないことは分からないまま」でほっといてたんです。勉強も仕事も。自分はそこから逃げてました。でも子供が生まれてからは、分からないままにはできないので。分からないことから分かるまでのプロセスって、調べたり、労力をつかったりして面倒なんです。でも、必ず自分の糧になる。知識がつくと、身に付くようになります。周りにもどうやって活かせるか考え、「知識」を「知恵」として活用する。

もう昔の自分みたいに、わからないことを放置してるんなら、分からないことから逃げないで挑戦してほしい。わかんないだろうけど、調べるのは面倒かもしれないけど、分からないなりに調べてみて親でも先輩でもいいから訊いてみて、そのなかから自分の中で答えをだして成長していくんです。
漫画かなにかのセリフで、こんなのがあったんです。「先輩とか上司の信頼する友人がこうだよって自分の考えを提示するから、後で自分が困ることになる。自分でやんないから。」昔からずっとこのセリフが頭にありました。

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