【長万部町出身者インタビュー】美容院Noir 金丸寛「東京で学んできたことを、長万部の地にフィードバックしてあげたい」

投稿者: remanbe

remanbe(リマンベ)は、デジタル時代の地方創生のモデルをつくりあげる、北海道長万部(おしゃまんべ)町のローカルメディアです。


この記事は、はてなブログにて2014年5月より掲載していた「リマンベのシゴト論」を加筆修正したものです。

もうすぐ卒業シーズンということで、リマンベ編集部から地元の田舎に住む中高生のみなさんに贈ります。中高生のお子さんをもつ保護者の方、長万部の学校の先生方にも、ぜひ読んでいただきたい内容となっています。

「リマンベの仕事論。」の全記事を見る

【プロフィール】
金丸寛
1980年12月12日生まれ。いずみ保育園、長万部小・中・高校卒。その後、札幌の美容院に1年間インターンを経験し、小樽の美容専門学校へ進学。卒業後は東京銀座の美容院に10年間勤務。現在は独立し、長万部町内に美容院「Noir」を経営。

現在のシゴトについて

「Noir」オープン当初は、1日に12名ほどの来客があり、子どもからお年寄りまで幅広くご利用いただいてますね。そうそう。長万部って「予約」の文化がないんですよ。お年寄りの方なんかは扉をバーンってあけて「いま空いてるー?」っていうノリで。長万部の特性なんですかね笑ヘアについては、奇抜すぎてもダメですね。でも、せっかくNoirで切ったのに全然変わってないと自分が切る意味もないので、ちょっと変えてあげたいんです。Noirで切ることによって意味があってほしい。ファッションや眉毛、メイクなどとあわせてトータルアドバイスもしています。

いまでは長万部以外のお客様にも来ていただいて、近隣町の八雲、寿都、黒松内・・・などですかね。口コミで広がっているみたいです。1人のお客様に満足いただいて、そこからまた口コミと。口コミって、良い事も悪い事も瞬時に広がるので、「毎日ヒットを打たないと!」というプレッシャーにはなるんですが、励みにもなりますね。お客様が求めていることを汲みとって、ヘアで表現する。その繰り返しですね。

シゴトのなかで印象的だったこと

自分が切ってあげたことによって、その人が良い方向に変わっていくことですね。例えば、今までは市販のシャンプーをつかっていたのが、美容院でしか売っていないような専門的なものを使うようになったり。ほかはファッション。田舎のファッションっていうか、長万部って街中にお洒落な人がいなかったんですが、お洒落してNoirに来てくれる人もいたり。お洒落して出かける文化がでてきたっていうか。そこが嬉しかったです。まずは1人を変えてあげてから、その1人が他の人に良い影響を与えて、影響を受けた人が変わっていって・・・という繰り替えしで「文化」ってできますからね。

このシゴト(美容師)を目指したきっかけ

母が飲み屋の客商売をしていたこともあり、よく母のヘアメイクのセットをしに髪切虫に行くのを、子どものころについていったのが原体験かもしれません。あとは、女性をキレイにすることだったり、家が飲食店でして、そこで接客をしている姿をいつも見てきたってことも影響しているかもしれませんね。

それで、中学の頃は部活で吹奏楽をやっていまして、当時は「高校は吹奏楽が強いところに進学したい」って思うくらいに吹奏楽に夢中だったのですが、高校に落ちてしまい。音大に行って音楽をつづけることも考えたのですが、音大ではピアノが必要で。音楽で食べていくのは非常に厳しい世界ということを考えていた矢先、子どものころの「髪切虫での母のセット」のエピソードがぶわって頭に浮かび上がってきまして。当時はカリスマ美容師ブームがあったこともあり、それらの出来事なり想いが重なり、美容師を目指すようになりましたね。カリスマ美容師ブームは高校一年生くらいのころでした。東京に行きたいって思ったのは、ミーハーなので芸能人のヘアメイクをしたかったということと、「どうせやるなら東京で」という想いが強かったからですね。

長万部に美容院を開業した理由

東京の美容院で働いていた29歳か30歳のころ、自分の人生について考えまして。このままずっとやっていってどうかな。将来の収入はどうなるかなーと。自分の目指す方向に行くには、自分自身が経営者にならないと難しいんじゃないかって考えてました。

夏休みに長万部に帰省した際、髪切虫の場所を借りてカットをやってみたことがあったんですが、そのときには予想外の人出になりまして。それで、「それだけ自分のところに来てくれるんなら、長万部で自分の美容院をやれるんじゃないか」と思ったのがきっかけですね。

長万部って本当に田舎町で、2011年頃には「まんべくん」をきっかけに町が盛り上がったといえばそうでもなく、それは一部に限りますし必ずしも全体が盛り上がっているわけでない。そんな中で、「長万部に新しい風を吹き込まないといけないな」と考えましてたね。町自身は活性化してないですし。

自分は「キレイに、カッコよく」変えていきたいっていう考え方なので、自分が美容師としてこれまで10年近く東京で学んできたことを、長万部の地にフィードバックしてあげたいんです。

シゴトの失敗、それを乗り越えること

小樽の美容専門学校を卒業して、東京の美容院で働くようになったころです。「シャンプー」って、普通は1ヶ月で合格できるようなものなんですが、自分は5ヶ月もかかってしまいましてね。やっと受かったと思ったら、直後のシャンプーでお子さんの背中を濡らしてしまったり。ほんと、はじめは失敗の連続でしたよ。

自分は不器用でして。感覚は敏感なんですけど、その感覚をつかむまでが長いんですよね。いつも先輩に怒られて、胸ぐらつかまれることもときにありましたけど、「ブラックの息子が美容師辞めて長万部に帰ってきた」とか言われたくないので頑張って東京で続けてきました。プラス志向で乗り越えていきましたね。悔しくて何度も泣いた夜もありましたけど、朝起きたら気分を入れ替えて頑張ってきました。

長万部に暮らす10代へ

自分がどうなりたいか明確にしておくこと。以前、理科大に通ってる子がうち(Noir)に来たとき、カットしてるなかで入学理由について尋ねてみたら「指定校だから入った」ということがありまして。具体的に自分がどうなりたいかっていうイメージが描けていなかったようなんですよ。この大学に行きたいんだっていうイメージが。美容師は職人の世界ですから。手荒れがキツいという理由ですぐ辞める子もいますよ。本当に「好き」って気持ちがないとできない世界で。なんとなくじゃやれないんです。

あとは、「良いものに触れたり、良い人に出会う」こと。見た目から入るのもいいですし。良いものに触れたりするのって、上に上がるためのカギですから。所詮みんな「人」なので、人に平等に与えられる「1日24時間」のなかで、どう過ごすかが大事ですね。失敗を恐れたり、自分だからどうせできないって考えてないで、まずやってみたらいいですよ。出ないと見えてこないから。グラフでいうと、上がって下がっての繰り返しのようで、ジグザグに上昇していくもんなんで。

まず失敗。そして、そこからの気持ちのもっていきかたですよ。あとは、人への思いやりが何より大事で。助けたくなるように人間になることが、自分がのびるためには大事なんです。

▼この記事がよかったらいいね!