【長万部町出身者インタビュー】アパレル 武澤 光歩 「夢中のままで突き進んでほしいです。気持ちのままに。ゴールへ向かって。」

投稿者: remanbe

remanbe(リマンベ)は、デジタル時代の地方創生のモデルをつくりあげる、北海道長万部(おしゃまんべ)町のローカルメディアです。


この記事は、はてなブログにて2014年5月より掲載していた「リマンベのシゴト論」を加筆修正したものです。

もうすぐ卒業シーズンということで、リマンベ編集部から地元の田舎に住む中高生のみなさんに贈ります。中高生のお子さんをもつ保護者の方、長万部の学校の先生方にも、ぜひ読んでいただきたい内容となっています。

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【プロフィール】
武澤未歩(TakezawaMiho)
1988年9月24日生まれ。いずみ保育園、長万部小学校、長万部中学校、長万部高校を経て、東京のバンタンデザイン研究所スタイリスト学科に入学。卒業後はアパレル会社に就職。渋谷パルコ、新宿ミロード等の店舗に勤める。退職後は一旦長万部に戻ったものの、2013年に再び上京し、現在は服飾雑貨会社に勤務。

ーーー東京の服飾専門学校に通い、アパレルへ就職。その後長万部に戻っていた時期があったが、再び上京した武澤氏。取材のこの日、話したいことは「人生で2回逃げたこと」と語る。

1回目の後悔「選びたいのに選べなかった」

長万部高校を卒業してなぜ東京にきたか。それはスタイリストになりたかったから。もう服が好きすぎて。上京してすぐのとき、けっこうビックリしたことがあります。小さい頃から目立ちたがりでしたが、学生時代通っていたバンタンはもっと個性的な人ばかりでした。「私よりおかしな人が沢山いる!笑」全身蛍光色の服を着た、宇宙人みたいな人とかですよ。宇宙人と一緒にいるんですよ笑

でも、こっちは長万部(出身であること)を武器(ネタ)にして、だんだんと学校に溶け込んでいきました。友達の中には、学校に通いながらアシスタントについてた人がいました。それも、超有名アイドルグループのスタイリングも担当している大物のスタイリストのアシスタントに。仕事はもう忙しいみたいで。スタイリストである師匠の「犬の散歩」から「家の掃除」までやるんですよ。「真夜中に呼ばれても行かないといけないから、携帯の着信音を大音量にして待ってる」って。そうやって頑張って仕事をしていたら夢は叶うかもしれないんですけど、あたしはそういうの見てから、正直ビビってました。

その超有名アイドルグループについてた師匠は、もう売れて売れて。…と過ごしていた矢先に、師匠から「俺、ちょっとデザインやりたくなった」と言われて、友達はアシスタントとしての首を切られたんです。目の前が真っ暗になりました。自分のことでもないのに。アシスタントの仕事って資格もないし、保証もあるわけでもない。でも、それを無給でやってたんですよ。大物だから無給でもどんどん応募は入ってきますから。覚悟がないとできない仕事です。

それで私は、「1人でやっているスタイリストの人」にアシスタントとして就くのは怖かったから、学校の1日体験学習等を利用して、アシスタントに入ることにしました。。雑誌、テレビの仕事や、東京ガールズコレクションのフィッティング(ステージ裏でモデルに服を着せる役割)、東コレなどをやってきました。

そこでも華やかな世界の裏方を見てビビってしまいました。やってもいないのに。でも続けてみなきゃわからない!と気合いを入れて臨んだ雑誌の現場。言われたことをやるだけで精一杯で。「(私は)何をやったらいいですか?」って聞いたら怒られて。初っ端から随分泣かされましたね。笑その日を境に次行くことが怖くて、現実逃避です。自分の弱さを知りました。

就職のとき、アシスタントに行こうか考えたんですが、泣かされた最後の一日の経験が頭に残ってて、結局アパレルを選びました。「アシスタント」を選べなかったこと。行きたい世界に飛び込めなかったこと。それが一回目の後悔です。

2回目の後悔「就職先で巡ってきたチャンス」

就職先のアパレルでは販売として入って、自分では思った以上に楽しかったです。話すことが好き。話をきいてあげるのが好き。服も好き。しかも当時好きだったブランドに入れて、好きな服に囲まれて接客もできて楽しかった。そこでも鬼店長がいて、毎日泣いてたんですけどね笑過酷なとこでした。

でも、よく怒られた方がよかったなって、今になったら思えます。それで、そこでの販売の仕事は自分にも合ってて楽しかったんですけど、このままこの仕事を続けていって昇格していくとして、そのまま店長になっていいんだろうかと(考えてしまって)。何のためにこっちにきたんだろうって。一日中、狭いお店の一角にいていいのかなって。

私は、広い世界を見たい。いろんな人に会いたいし、いろんなところに行きたい。いろんなものを見たいし、吸収したい。要は、居心
地が良いとこにいたんですね。

あるとき、このままでいいの?って気づいて、「辞めよう。もう一回やりたいことに挑戦しよう」って決めました。店長に辞意と伝えたら、店長は「もったいない」と。その店長はプレス(ファッション誌等のメディア対応、スタイリストへの服の貸し出し等の役割)の仕事をやっていた人なんですが、

「たけちゃん、プレスのアシスタントに入らない?スタイリストになりたいって言ってたよね。プレスのアシスタントになったら、プレスルームでメディアの人やスタイリストさん、アシスタントさんにも会えるし、チャンスが広がると思うよ。どう?プレスのアシスタントに入らない?」

すごく嬉しかった。すごく嬉しくて、すごく良いチャンスで、さらに尊敬してる店長のもとで働けるんですけど。ただ、ただ問題が。あわない上司がいたんですね。

同僚を無視したり、ヒステリックを起こしてペンとかを投げたりする人なんだけど、その人は(商品を)売れるから辞めさせられないみたいで。その店長の誘いに乗って入ったとしても、その上司と2人でやることになるのができなくて。「その上司と一緒にいたらダメだ、自分が病んでダメになる」って思ってしまい。せっかくの店長からの有り難いお誘いだったんですが、断ってしまいました。今でも後悔してますよ。なんで選べなかったんだろうって。

長万部に戻って、無になって考えたとき

アパレルの仕事を辞めたあと、長万部に戻りました。本当に長万部ではいろんなこと考えさせられて。スタイリストになりたいなら、心からやりたいならやってたはずなんです。でも、やらなかったということは、他に何かしらやりたいことがあったんですね。そこまでだったのかもしれない。

長万部に戻ってた頃の素直な空っぽの頭で考えたら、「ほかにもやりたいことがいっぱいあるんだなー」って考えにたどり着きました。服を選びコーディネートすること以外にも、最近は一からデザインできたら楽しいだろうなとか。「ファッション」はいつも私をぐっちゃぐっちゃにします。好奇心と想像力で。そして笑顔にしてくれます。今は頭の中がやりたいことで散らかってますよ笑

だからこそ、次は絶対後悔だけはしたくないです。焼き付いてますよ。それが私の全部の原動力だから。失敗してもいいから挑戦すること。今までは失敗を恐れて、いつも楽なほう楽なほうに行ってました。今思うと、挑戦して失敗できる人のほうがカッコいいですよ。ほんとカッコいい。「やったけどだめだったー」でも、全然カッコいいですよ。やらなかった後悔はずっと残るし。

一回目の後悔でも二回目の後悔でも、後悔が二回も続いたのは何でだろうって考えたら、「私は挑戦できてない」からなんですね。「後悔」と言っても「挑戦」ができてないから、改善しようにもできないですし。思うことは、ただぽつんと「なんでやらなかったんだろう」って。
「人をキレイにしたい」って(本当に心から)思えるのはこの歳になってからですね。

20代前半の頃は、スタイリストのイメージばかりが走ってて、華やかだなーいう感じで。母から「スタイリストのアシスタントやるって言って、自分を犠牲にしてもできるの?」って言われた、その言葉がすごく響いてます。「お金も時間もなくて、自分はボロボロの格好にスッピンでも人を輝かせることができるか?」って。逆だった。自分がまず第一にキレイにしていたいし、欲しいのものは欲しい。それを武器にして働きたいと。

でも今は、前の自分よりも、自分自身をほどほどにして、客観的に見られるようになりました。「こういうの着たらもっとキレイになりますよ」って、自分以外にも目を向けられるようになりました。視野が広くなって見えてきたんですね。

私はどんな環境でも自分なりに楽しんじゃうんです。良いとこでもあり悪いとこでもあります。遠回りになったのも寄り道が楽しくて楽しくて。笑でもこれからは逃げずに逆境こそ楽しんでやると思ってます。周りには「悩みないでしょ」と言われたりしますけど、悩んでばかりですよ。恥ずかしいですがやりもしないで悩んでばかり、でも大きな声で夢を語る強がり口だけ女です。ここでやっと認めて卒業します笑

もう後悔したくない、これからの私

野心はあります。今ってネット通販が0円でできたりするサービスがあって、「BASE」とか「STORE.jp」とか。テレビでこういうのがあるんだって知って、それをつかって何かしてみたいし、パーソナルスタリングもやってみたい。

あとは、恩師の先生とつながってるから、昔の「学生と先生」の立場じゃなく、先生と会って話を聞いてみたいです。いまやりたいことは、人に会うこと。いろんなことを吸収したいし、何でも吸収していく時期だと思ってます。

それと、私に向かって、「みほ、そのままでいいの?」って奮い立たせてくれる人がいます。自分がダメになりそうなときにライバルを見ると、「私もがんばろう」って思えますね。そうそう、ライバルをつくっておくといいですね。「あいつには負けない!」って思えて頑張れますから。無理でもつくっておけばいいです。この人には負けないって。

長万部の10代へメッセージ

「思ったらすぐやること」。なぜなら…、自分が後悔してるから。時は流れてしまうものだから。感情って、時間が経ったら冷めちゃうものだから。

ふと、「あのときの自分に戻りたい」って思うことがあるんです。燃えてたときの自分に。燃えて楽しかった頃の自分に。ふとした瞬間に思うことがあるんです。どんなに一瞬でも輝かしいときがあったと思うし、その一瞬って人生でもすごいときかも。流行語じゃないですけど、その一瞬が「今でしょ」って。

あたしは気づけなかったんです。あんなにも輝かしかったのに、ダメになってしまった。だからこそ、みんなにはその一瞬を見逃してほしくない。転機のある中学生、高校生の時期だから。そのときを見逃さないで掴んでほしい。

考えてたら歳をとっちゃいますよ。若い時の熱って、純粋なものでしょ。歳をとると、お金のこと、生活のこと、…とか色々心配してしまうし笑純粋なときのその気持ちを持ち続けて、夢中のままで突き進んでほしいです。気持ちのままに。ゴールへ向かって。

【編集後記】

「チャンスの神様は前髪しかない」という言葉がキーになる取材でした。「巡ってきた機会は逃さず掴め」「チャンスとは前髪があって後ろ髪がない頭のようなもの。見過ごせば、掴み損なう」という意味のことわざです。
挑戦をしている人の前にしか「チャンス」は訪れないといわれており、さらに挑戦をしつづけている限り「失敗」とは呼ばないといわれています。挑戦の分母を増やし、チャンスの神様がやってくるときに備えて、いつでも掴みにいけるようにすることと、その瞬間をしっかりと掴むこと。この2点と、何度でも挑戦するマインドの大切さを、改めて痛感した取材でした。
話は変わりますが、取材中にこんな話も。

東京では、本当に長万部に助けられました。私、子供の頃から「芸能人」や「お笑い芸人」に憧れてて、前に出たい!って気持ちが強かったんですね。それで、恥ずかしくてあまり言ったことがなかったですが、私が前に出て、「将来は長万部を有名にしたい!」って思ってました。どうやったらいいかなーって考えたら、「長万部出身」をネタにしてやろうと。同じく東京に出てきた友達の中には、自己紹介のときに恥ずかしくて「函館方面出身です」って言ってたらしいんですが、逆に私は「長万部出身」であることを強みにしてますよ。長万部って、名前だけ(有名)じゃなくて、良い町だから。東京にきて思うことは、長万部って美味しいものがたくさんあるってこと。こだわった味もあるし。美味しくて超安い。いつかどんな形でも良いので紹介したいです。テレビとかで取り上げられるときにも、「ここは誰々の出身地です」というふうにしたい。ホント、長万部にはどんだけ助けられたら分からないですよ。ささやかでも、その分はお返ししたいです。

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