【長万部町出身者インタビュー】金谷圭一郎(かにめし本舗かなや代表)「1人で熱く主張しても、皆に伝わらなければ力が結 束できず『力』に変わらないんですよ」

投稿者: remanbe

remanbe(リマンベ)は、デジタル時代の地方創生のモデルをつくりあげる、北海道長万部(おしゃまんべ)町のローカルメディアです。


この記事は、はてなブログにて2014年5月より連載していた「リマンベのシゴト論」を加筆修正したものです。

もうすぐ卒業シーズンということで、リマンベ編集部から地元の田舎に住む中高生のみなさんに贈ります。中高生のお子さんをもつ親世代の方、そして長万部の中学・高校の先生方にも、ぜひ読んでいただきたい内容となっています。

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【プロフィール】
金谷圭一郎
昭和48年12月20日生まれ。マリア幼稚園、長万部小学校、長万部中学校を経て東海大学第四高等学校、東海大学湘南校舎土木工学部に進学。大学卒業後は、神奈川県茅ヶ崎市の亀井工業株式会社に入社。平成23年7月よりかにめし本舗かなや代表取締役を務める。

【かにめし本舗かなやとは】

かにめし本舗かなや(かにめしほんぽかなや)は、長万部駅に拠点を置く駅弁調製・レストラン・ドライブイン・佃煮製造業者。札幌市にも支店を持つ。長万部町内で旅館営業をしていた時代の弁当事業を含むと昭和以前になってしまうことから、長万部駅構内販売を始めた昭和3年を創業年としているとのこと。

「最後の無頼派」作家・文士ともいわれた檀一雄のエッセイ「美食放浪記」の中でも、長万部の車窓から買って喰った毛蟹も、おいしくて、ひろげた新聞の上いっぱいにひろがるその殻の堆積の有様を眺めながら、いかにも喰ったと云う幸福感を味わったものである。
と長万部駅の煮蟹が絶賛されている。

ーーかなやさんにはお客さんはどういう方が訪れますか?
町外のお客様が「長万部を通るのでせっかくだから・・・」と立ち寄ってくださるのが多いです。また町内の方もお出かけの手土産、または来客のおもてなし等に利用してくださいます。年代はやはり30代以上が多いです。「親が好きだった・・・!昔、修学旅行で食べた・・・!」などと懐かしさを求めて来られますね。

若い世代ではネットで調べて立ち寄られる方も見られます。キッカケになったのは弊社ショッピングサイトで販売している「かなやのかにめし(冷凍)」を購入してくださった方が、本物を食べてみたいと思われ、旅のついで・あるいはデパート催事先に来てくださり食べ比べてくださったようです。感想まではお聞きしてませんが結構頻繁にご連絡をいただくお客様もいらっしゃいます。

ーーお休みの日は何をされてますか?
あまり休んでないのでわかりません。何か用事があるから会社に行かないことはありますが、基本プライベートと仕事の区切りはありません。

ーー現在の長万部は、Noirの寛さんや木村店長を筆頭に、30代の方の活躍がとても目覚ましいものですが、この点について考えを聞かせていただけないでしょうか?
寛ちゃんも充くんもキャラクター的に魅力のある方です。うらやましいですね!

当然、彼たちの活躍は刺激になってます。この二人も町外で活躍されたのちに地元に戻って頑張っている二人です。ある意味私も同じですので心中を察する部分もありますね!同性の自分から見ても素敵な二人ですよ!

ーー「町外での仕事」を体験していることとしていないことの違いを長万部での生活において感じることはありますか?
うまく言えませんが、「この町には答えが既に用意されてる・・・」こんな感じでしょうか。「決め付けが強い・・・」。表現が難しいですね。

別にどっちが正しいという事はないんですよ。「優しさ」と「甘やかし」、「気配り(言われる前に動く)」と「ご機嫌とり(言われてから動く)」を勘違いしている人が多いなぁ・・・とも思いましたね。なかなか言葉で説明するのは難しいです。

ーーお仕事での「失敗体験」「成功体験」を教えてください。

失敗体験について

失敗体験については、あり過ぎてわかりません。「失敗」を失敗のままにしておかないことを心がけています。なので、正直失敗は沢山してますが、「失敗」と記憶しているものはあまり無いですね。毎朝4~6時に心臓のバクつく音で目を覚まし、落ち込む日々が約10年間毎日続きましたけどね。

自分に何かを言い聞かせて、奮い立たせて、布団を出るんです。「仕方ねぇ!」という割り切りで。そうしないと会社にも行けないし、誰とも会えないんですよね。正面から失敗を受け止めて、認めて、1つずつ解決していくことでその失敗は解消されると思います。それでも失敗したら「ごめんなさい」ですよ!

成功体験について

成功体験については、「成功」という表現になるのかわかりませんが、良かったと思っていることを書かせてもらいます。「逃げないで良かった・・・」と思っています。長万部に帰ってきて今年で12年。親元を離れて曲がりなりにも自分の考え・判断で16歳から28歳まで生きてきて、多少の「経験と自信」を身につけて帰って来ました。

ですが、積み重ねたものを自ら封印しなければならない、目一杯アクセルを踏みたいけどブレーキを踏まなければいけない。そう思ってしまいました。封印したのは今まで私が普通に判断していた「基準」だったり「時間の使い方」だったり、立ちはだかったのは父親などなど。

今まで出会った方々から学んだこと、いろんな状況に遭遇したことから学んだ経験をもって「故郷に新しい風を!」みたいに思ってましたが、この町では通じない、聞き入れてくれないと感じました。見えない壁が立ちはだかってるんです。

「ココでは○○だから!」。

なぜ、変えたいと思ってるのに、変えようと動かないんだろう?なぜ、新しいモノを否定するんだろう?(表面は相槌をうってても、陰で否定するのは何故?正面切って否定しないのは何故?)なぜ、行動のまえに顔色伺いをするんだろう?

以前の職場で一緒に働いていた同僚たちとどんどん差が広がっていくのではないか?という不安でいっぱいでしたね。

そんな時に父親に言われた言葉が「まずは、皆を知れ!」でした。

勿論、反発しましたよ。何で俺が知らなきゃならないんだ!時間がもったいない!自分のやる気にブレーキをかけられる毎日に諦め、失望を繰り返しました。

父は10年前に他界しましたが、今は何となくその言葉の意味が理解できます。「伝える」難しさに直面したときにわかりましたね。1人で熱く主張しても、皆に伝わらなければ力が結束できず「力」に変わらないんですよね。今は10年以上の付き合いの中で、だいぶクセもわかってきて、どう言えばこの人に伝わるのかが以前よりはわかってきました。父親の言った「皆を知れ」は、つまり「皆に歩み寄れ」ということだったんですね、きっと…。

思った通りにいかない現実、封印した自分の考えとアクセル!嫌気をさしてこの町から出て行こうと何度も思いましたが、逃げずに頑張ったら12年経って何となく手応えを感じるようになってきました。自分自身の中に「逃げなかった自信」が「土台」としてできたと思います。「成功」と感じたことはありませんが、封印を解き、アクセルを踏むのはこれからです!

ーー長万部の若者へメッセージをお願いします。
実際には凄く難しいことだけど、夢は持ち続けたいと思っています。できない事の理由を探して自分を抑え込むくらいなら、できる可能性を探すほうが俺は楽しいと思っています。どうせ生きるなら胸を張って生きて行きましょうよ、みなさん!