【長万部町出身者インタビュー】種田敦「外に出て、広い世界を見てほしい」

投稿者: remanbe

remanbe(リマンベ)は、デジタル時代の地方創生のモデルをつくりあげる、北海道長万部(おしゃまんべ)町のローカルメディアです。


この記事は、はてなブログにて2014年5月より連載していた「リマンベのシゴト論」を加筆修正したものです。

もうすぐ卒業シーズンということで、リマンベ編集部から地元の田舎に住む中高生のみなさんに贈ります。中高生のお子さんをもつ親世代の方、そして長万部の中学・高校の先生方にも、ぜひ読んでいただきたい内容となっています。

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【プロフィール】
種田敦
1988年生まれ。静狩保育園、静狩小学校、長万部中学校、長万部高校出身。東京理科大学基礎工学部、同大学院基礎工学研究科卒業。現在は都内の大手電機メーカーに勤める。

ーーー高校までは地元の長万部で過ごし、大学進学をきっかけに上京。「いろんな世界を見たいから」という理由で北海道を飛び出した。いまの殻を打ち破ることで見えてくる世界とは。

長万部から理科大へ

大学進学は、高2くらいのときに考え出して、「自分は大学行くんだろうな」くらいの気持ちで。高3でどんな大学があるのかと情報収集をし始めてました。北海道から出て、いろんなものが見たいという想いがあったので。先生から「理科大はいける」と言われて。それで上京できるチャンスだと思いましたね。

理科大の1年次は地元の長万部ですが、2年次からは千葉、都会にいられるので。「いろんな地方から人が来る」や、「いろんなものが見れる」「幅が広がる」という話も聞いて、そこにいけば色々なものが吸収できるんだろうな、色々なものを見たいな、という気持ちで志願しました。当時の想いとしては、「理科が好きだから」というよりかは、「東京に行く手段」でしたね。

理系に興味をもったきっかけ

「自分はどちらかと理系だな」と思っていて、昔からモーターに導線をつないで小さな扇風機をつくったりしていて、そういうのが好きだったんですよね。父が日曜大工をしていたり。ものづくりは楽しいな、という。いま勤めている会社は、大学の研究の延長でして、医療機器系をずっと研究していました。その影響で、就職もそういう会社に行こうと決めました。

上京して起こった変化

交遊関係が増えました。大学に限らず、インターンなどでも他の大学の人、文系の人などとも出会えました。あとは理科大の友達の紹介で、他の大学の人とのつながりも得られたり。

あとは行きつけの店(アジアンキッチン「イニサジャ」)が出来て、そこでは日本人問わず、外国の方とも交流を深められました。グローバルなつながりですね。そんなに英語はできるわけではないんですが、初めて「日本の枠を飛び出した」って感じがありました。英語は共通語だから、英語ができないと他の国とはコミュニケーションがとれないので、英語の勉強も一生懸命に始めましたね。英会話に週5で通ってみたり。東京は人との出会いがいっぱいあるから、長万部と比べたら、かなりシェアは広がりましたね。

長万部にキャンパスがある「東京理科大学基礎工学部」の生活

まず入学式のときは、東京に前日入りしていました、これまでの長万部での学生生活と違って、全然知らない人と会うことになるので、緊張してました。入学式が始っても隣の席の人とも話せなくて。それくらい緊張してましたね。

それで式の途中で「基礎工学部の学生は(会場から)抜けてください」というアナウンスの後に、空港に向かうバスに乗ったんですが、そこでも緊張してしまっていて、全然話せませんでした。さらに空港に着いて飛行機に搭乗したあとも緊張していたのですが、勇気を振り絞って「出身はどこなんですか?」と、ようやく話しかけることができたんです笑

新千歳空港に着いて、最後の移動手段である長万部に向かうバスでは、疲れて寝ちゃっていました。それで、長万部に着いたら着いたで、祖母が理科大生歓迎の旗を振っていて、また恥ずかしくなりましたね笑

「ここ(長万部)出身です。」

4人部屋の寮に着いて、そこで初めてまじまじと話をしました。みんなノリがよくて、面白い人たちばかりでしたね。「どこ出身なの?」と聞かれて、「ここ(長万部)です。」て答えたときのリアクションが凄くて笑

でも、そのおかげで、自分が「長万部出身」だということが人づてでどんどん伝わっていって、そしたら色んな人から話かけてくれるようになったんです。「どこか遊びに行きたんだけど、おすすめはある?」とか「長万部公園ってどう行くの?」とか。

地元出身というだけで、本当に色んな人に自分を知ってもらえましたね。交友関係も広がりました。同じ部屋だった3人とは今でも仲が良くて、この前はGWに飲みに行ったりとしてる関係です。

「人の輪の広げ方」「つながりの増やし方」

自分はちょっとシャイな方なんですけど、根っこにある「広げたい」って気持ちが勝手に行動をさせてます。

東京では色んなイベントに行ってました。セミナー、就職活動に関する勉強会などですね。あとは音楽が好きで、音楽業界の企業のセミナーなどにも行ってました。いまでも連絡を取り合ってる人もいます。つながりができて、色々と情報が入ってくるようになりました。

できること、やりたいこと

就職活動をしているなかで、ちょっと分かったんですが、まずは社会人になりたかったんです。大人の場を味わいたいというか。

自分は院卒なので、人と比べて学生経験が長かったということもあり。いま働いているなかでも「これまでに学んだことが、ここでつながっていくんだ」ということが実感できていて、無駄なことなんてないんだと思ってます。

自分の「強み」について

とくにずば抜けたスキルってないんです。でも、興味のあるところはどんどん追求できるところですね。最近は、自分があまり興味のないところも色々と見てみないとな、と思うことがあります。「1つのジャンルを突き詰めるのではなく、幅広くいくこと」ってよく聞きますし。人生のアクションは30歳からでいいので、20台のうちは「土台」をどんどん大きくしていきたいです。

そのためにやることは、交友関係を広げたり、自分の興味を突き詰めたり、逆に幅広くみたり、ですね。人生1度なので、どうせならずっと楽しんでみたいじゃないですか。だれもやっていないことをやってみたいですし。歴史に名を残すのは、凄いことを成し遂げたあとに付いてくるもので。

大学時代、院にいくか就職するかで迷ってたんです。このまま就職していいのかな、と考えてました。そのときのモチベーションと、今のモチベーションは全然違いますね。院にいくかで迷っていたとき、本気で自分と向き合うことにしました。考えに考え抜いて、ロジックツリーを描いてみて、どんどん自分の内に掘り下げていったんです。

「じぶんはこっちのタイプじゃないかも。もっとエンジョイしたいのか?でも自分の柄じゃないし…」と。心の奥底では、こういうことを思ってるんだろうな、というとこまで掘り下げていきました。そういう風に思えたのも、色んな経験をして、色んなものを見てきたからなのかもしれません。上京しないことを否定するとかではないんですが、もし長万部など北海道に残っていたら、そんなに広がらなかったんじゃないかと思います。

いま思うと、高校から大学進学を選んだことは間違いじゃなかったな、って気持ちです。北海道で大きいですけど、(価値観の広がり方としては)狭いですよね。多様性があまりないかもしれません。長万部のような小さな町から札幌や函館へ行ったとしても。

長万部の10代へメッセージ

自分のやりたいことを見つけるために、自分の味わったことのない世界に踏み出してほしい。

居心地の悪いところにあえて行ってほしい。カンファタブルゾーンを超えて。これからの人生について、深く考えたことのない人は一回外に出て、色んなものを見て、経験して、そのきっかけになるために色んなものに触れてほしい。居心地の悪いところに行けば、きっと何か得るものは絶対にあるはず。

「広い世界を見てほしい」

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